(株) CMC総合研究所代表取締役 工学博士元島栖二

研究・活動履歴

■ 大学院修了後企業へ、その後大学へ


信州に生まれ、逆境をバネに信州人特有の不撓不屈の精神を養う

昭和16年長野県下伊那郡神稲(くましろ)村の貧農の6人兄弟の3番目として生まれる。中学3年の2月、父が脳溢血で急死、家は病弱の母と多くの幼い兄弟を抱えて経済的に極めて困窮しており高等学校進学を断念、しかし、大阪の伯父(母の兄)の温かい支援で何とか飯田高等学校を卒業、昭和35年名古屋に就職、昼は体中真っ白(炭酸カルシウム粉末を取り扱っている会社であったので)になって働き、夜は名古屋工業大学第二部 (夜間)工業化学科で勉学。昭和36年には伊那谷の集中豪雨のため郷里の田畑家屋全てを流失、母が病に倒れる。その後妹が、さらに弟2人が相次いで名古屋に出てきたため、一時は4畳半に3人で下宿・自炊生活、お互いに助け合いながら5年間頑張る。昭和40 年大学卒業、就職を考えたが不況の嵐の中で適当な就職先が見つからず、さらに勉学したい気持ちもあり進学を決意、ただし学費や生活費の目途は全くないばかりか、家に仕送りをしなければならない立場。エーままよ、それは後から考えよう。行動が先。



強い決意は道を開く

大学受験時以上に猛勉強、名古屋工業大学大学院に合格。担当の尾藤教授に相談した。“合格したけれども学資も生活費も全くないので進学できない、何とかなりませんか”と。無鉄砲の極みである。大変温かみのある面倒見の良い先生で早速地元の東亞合成化学工業(株)を紹介してくれて受験、卒業後入社することを条件に奨学金(15,000円/月)を支給してくれることになる。この奨学金とアルバイトで何とか学資・生活費を満たし、さらに郷里への仕送りもする。大学院では有機合成の研究を行い、昭和42年大学院を修了。東亞合成へ就職して企業の研究者として社会生活をスタート。



企業の研究員から大学教官へ転進

東亞合成では、主として高分子合成の研究を行う。企業での研究はどんなに研究成果が上がっていても、また何億円もかけて研究しても、経営的判断から、突然中止、研究テーマ変更がある。これを何回も経験した。一生懸命研究しても、いつ中止命令が来るかと思うと研究意欲もなえる。企業での研究に違和感を覚え、もっと腰を落ち着けて基礎研究をしたいとの思いから“大学に戻りたい”と修士課程の指導教授であったの尾藤忠旦教授に相談。たまたま岐阜大学工学部合成化学科の杉山幸三教授(無機化学講座)で助手を求めているとのことを聞き即座に応募を決意、幸運にも採用していただいた。化学の分野では、有機・高分子合成化学と無機合成化学は、180度異なる研究分野であるが、ゼロから出直す決心であったので専門分野を問わずであった。当時助手ポストの空きはほとんどなく、専門分野が違うと躊躇していたら、そのチャンスはつかめなかったであろう。ちょうど30歳の時であった。
東亞合成は優良企業であり、入社後退職する人はほとんどなかったので、大学に転職することに多くの人が驚いたようである。学位もなく、全く違う研究分野で果たしてやっていけるのかと、そんな冒険をして大丈夫かと。給料は約4割下がった。それにしても、大学教官としての能力が未知数で専門分野も全く違う私を採用していただいた杉山教授には頭が上がらない。杉山教授に拾っていただかなかったら今日の私はない。



■ 研究開発の履歴


CVD(化学気相合成)法による超材料研究

30 歳にしてこれまでの専門分野とは全く異なる分野に飛び込んだわけである。そこは大学ー企業で経験した研究分野とは全く異なる分野(無機合成化学)であった。岐阜大学へ着任してから数年間は全くの試行錯誤の連続で研究成果も出ず、論文は1 報も書けなかった。しかし、杉山教授及び高橋助教授の親身なご指導のおかげで次第にCVDプロセスが理解でき研究成果も出るようになり、着任後6年目で念願の工学博士号を名古屋大学から授与された。当時助手で学位を持っている人は一人もいなかったので、学位取得第1号となった。次第に気相からの結晶成長の魅力の虜になり、電子顕微鏡の中で様々なポーズを取って微笑みかけてくれる小さな美しい結晶たちと会話が出来るようになった。そんな中でめぐり合ったのが、スプリングのようにクルクルと巻いた窒化ケイ素マイクロコイルである。1989年のことである。普通であったら、単に面白いで見過ごしていたかもしれないマイクロコイルの表情に、大きなヒラメキを感じたのである。ヘリカル/らせん構造は、高分子や生命科学分野では常識であるが、無機材料分野では未知であった。異なる分野の研究を経験していたからこそ、その新しい分野の常識にとらわれずに、起こった現象、得られた物質・形態・性質を違う視点から眺め、判断し、思考展開ができたのかもしれない。



研究の頓挫と新しい展開---カーボンマイクロコイル(CMC)の発見

窒化ケイ素マイクロコイルの合成は、その後の精力的な研究にもかかわらず再現性がなく、工業化を視野に入れた研究目標は頓挫を余儀なくされた。ひとたび技術のブレークスルー(マイクロコイルが人為的に合成できるということが実証された)ができると、次から次へと展開できるものである。窒化ケイ素マイクロコイル以外のヘリカル物質について検索が始まった。
ロープ状という異常構造をしたカーボンファイバー(カーボンコイル)の気相成長が、1953年、Davis らによりはじめてNature に報告された。その後、多くの研究者により合成が試みられた。しかし、当時はカーボンコイルの気相成長は、極めて偶然的で、再現性に乏しく,純度も低く、収量もほとんどなかった。興味の中心はその特異的らせん構造とその成長メカニズムであり、その特性・機能性、ヘリカル/らせん構造を持つ物質・材料の新素材としての可能性については、全く関心が持たれず、予測さえできなかった。多くの革新的新素材も、発見当時には将来どのような可能性が開けてくるのか全くわからなかったように。



岩永 浩教授、川口雅之博士との出会い

そんな中、結晶成長学会で幸運な出会いがあった。長崎大学の岩永 浩教授(現名誉教授)とセントラル硝子(株)の川口雅之博士(現大阪電気通信大学教授)である。岩永教授は、微小な結晶の評価では世界的な研究者である。窒化ケイ素マイクロコイルの写真を見たとたん、これ伸びますか?伸ばしてみましょうと。岩永教授は、窒化ケイ素マイクロコイルは極めて優れた弾力性があることを世界で始めて明らかにした。川口博士は、職務としての研究の他に自由研究をしていた。アセチレンの熱分解の研究である。その過程で、たまたま不規則にコイル状に巻いた炭素ファーバーを見出した。1989年、カーボンマイクロコイル(CMC)の合成と特性評価について、岩永教授と川口博士との共同研究が始まった。研究を始めた当初は、コイル成長の再現性は低く、純度・コイル収率も低かった。



柳田博明教授との出会い

研究するには、研究費が必要であるが当時は助教授でもあり予算がない。まともな電子顕微鏡もない。たまたま目にとまった日本最大の研究助成財団である「三菱財団」の研究助成に応募。当時受賞者はほとんどが旧帝大の先生であり、地方大学は皆無に等しい。まして地方大学出身で研究実績のない著者にとって採択の見込みのない高値の花?でも、だめでもともと、申請書にはDNAと同様の二重ラセン構造という特異形状のカーボンコイルの写真を貼り付けて提出。柳田博明教授は当時東京大学教授で、三菱財団の審査委員であった。著者は、柳田教授のことは電子セラミックスの世界的権威として十分存じ上げていた。もちろん、柳田教授は著者のことは全くご存知ない。
CMC柳田教授の目が、申請書の一枚の写真に釘付けになった。二重らせん構造のカーボンマイクコイルの写真である。『これは面白い』。
『採択内定』。柳田教授から直接自宅に内定の電話をいただいた。『研究助成金1,000万円を受け取っていただけますか』と。“まさか”とわが耳を疑った。足が震え、受話器をかたく握りしめた。“はい!喜んでお受けいたします”、“夢のようです”と何度も繰りかえした。聞いていた妻は、怪訝そうな顔。高額の研究助成金の内定はもちろんであるが、著者にとって雲の上の人である柳田教授からわざわざ電話をいただいた。そして、名もない地方大学の研究者の提案を評価し、高額の研究助成金を支給。大感激である。三菱財団からの高額の研究助成は、岐阜大学では初めて。

 

審査委員は審査されている?
審査委員は申請書類を審査するのであるが、どのようなテーマ(研究者)を選定したかの審査結果により、逆に審査委員の資質・先見性が理事会などにより審査されていることにもなる。また、それが将来どのような成果を出し社会に還元されたかにより審査委員が社会的評価されることにもなる。したがって、教育・学術界の頂点にあり権威のある東大教授は、研究実績に乏しい地方大学の先生には、しかも将来どのように発展するのかもわからないテーマに対しては、通常大型の助成金を配分しないのではないか。当時、カーボンコイルが、将来どのような可能性があるのかわからなかったし、申請書にも書いてない。1枚のカーボンマイクロコイルの写真が、柳田教授の先見力・直感力をいたく刺激し、閃きをもたらし、その無限の将来性を感じさせたのかもしれない。そこに、東大教授らしからぬ、東大教授の枠を超えた偉大さ、すばらしい先見性を感じた。それには応えなければならない。

 

CMCの育ての親-----柳田博明教授
この研究助成金で、念願の電子顕微鏡・マイクロアナライザーを購入。柳田教授との幸運な出会いとこれらの大型装置を駆使により、CMCの研究は事実上本格的にスタート。柳田教授は、まさしくCMCの育ての親である。また、CMCの最大の理解者であり、支援者でもある。その後、研究は急速に進展。多くの論文を国際学会誌、専門誌に出版し、実用化も始まった。柳田教授との出会いなければ、CMCも日の目を見なかったかもしれない。





陳 秀琴教授・楊 少明氏のとの出会い

1997年2月1日、1通の国際郵便が届いた。中国の陳 秀琴教授からである。CMCに大変興味があるので、1年間外国人研究者として訪問したいとの事、すぐに「大歓迎です。是非来てください」と返事を書く。1997年10月に1年間の予定で来訪、土、日、祝日もなく、夜遅くまで研究に没頭、多くの卓越した成果を上げた。その後も共同研究員として薄給でも協力、さらに楊 少明氏もグループに加わってくれた。そのおかげで汎用CMCの大量合成技術、超弾力性CMCやナノコイル(CNC)が開発され、特性評価も進み、今日のCMCの発展の基礎を築いてくれた。




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■ ベンチャー企業の設立


大学発ベンチャー企業:シーエムシー技術開発(株)の設立

CMC技術の実用化のために、1999年に全国の8大学教官などに呼びかけて共同出資による大学発ベンチャー企業“シーエムシー技術開発(株)”を設立した。当初は元島栖二が50%以上の株式を持っていたが、半年後には50 %以下となり、経営権を失った
(注)現在、元島栖にとシーエムシー技術開発(株)とは全く関係ありません。



研究開発型ベンチャー企業:(株)CMC総合研究所の設立

大学を定年退職した2009年に、この革新的CMC技術を広く社会に還元することはCMC技術の発見者・パイオニアとしての責務であると考え、(株)CMC総合研究所を設立し、CMCの基礎・応用技術の開発、商品化・事業化を行っている。
(注)現在、元島栖にとシーエムシー技術開発(株)とは全く関係ありません。


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■ 写真集「驚異のヘリカル炭素」発刊

退職を期に、CMCに関する写真集「驚異のヘリカル炭素、未来を変えるカーボンマイクロコイル(CMC)」をシーエムシー技術開発(株)から発行していただいた。この写真集は、以下の“あとがき”からの抜粋にもあるように、CMCのすばらしさ・無限の可能性を、写真を中心としてわかりやすく解説・紹介したものである。35年にわたる大学での研究活動の集大成でもある。
(写真集のあとがきから):最近、これまでのサイエンスの方向を見直し、自然や生命体の叡智に謙虚に学んだバイオミ・メテイックな、ネイチャーテックな、そしてコスモ・ミメテイックな新しいモノ作り概念を提案されています。宇宙からミクロな素粒子の世界まで、さらに自然や生命体、あるいは電磁波などの非物質まで、森羅万象の基本構造は3次元のヘリカル/らせん構造です。3次元のヘリカル/らせん構造物質として、平成元年の窒化ケイ素マイクロコイルの発見を導火線とし、平成2年にはカーボンマイクロコイル(CMC) を発見されました。CMCは、21世紀に発見されるべくして発見された、無限の可能性を秘めたコスモ・ミメテイックな21世紀型の革新的新材料です。 
本写真集は、宇宙、自然、生命体など、森羅万象の持つ「ヘリカル」、「らせん」、「うずまき」構造をキーワードとして、ヘリカル構造の意味、ヘリカル構造からもたらされる数々の特性・機能・将来性などについて解説したものです。特に未来型の革新的新素材として幅広い応用が期待されているCMCの素顔とその未来像を、多くの美しいカラー写真や図表を用いてわかりやすく紹介しました。
セレンデイピテイに基づく偉大な発明・発見には、必ずプロローグ(序奏)があります。CMC(化学気相成長法)によるファインセラミックス単結晶の合成とその評価の研究の中で、ミクロな単結晶の示す幾何学的・アート的・神秘的美しさに魅せられ、まだ見ぬ心弾むような美しい結晶の素顔とのめぐり合いを求めていた時、全く偶然にもらせん状に巻いた結晶、カーボンマイクロコイル(CMC)に遭遇しました。その後はCMCのヘリカル構造のもたらす美しさと無限の可能性のとりことなり日夜研究を進めてきました。CMCに共鳴する多くの研究者と出会い、その輪が波紋のようにどんどん広がり、その中からたくさんの新しいアイデアが生まれ育ってきました。真のサイエンスは、大変美しく、また感動や共鳴をもたらすものです。自然の摂理に基づいた素晴らしい機能があります。本写真集には、CMCに関する大学・公的研究機関・企業など、多くの研究者との共同研究の成果や研究室の多くの学生諸君の汗の結晶が凝集されています。
自然や生命体が作り出しているヘリカル・らせん構造は、限りなく美しく感動さえ覚えます。又、人工的に創り出されたCMCの素顔も大変美しく魅力的で、自然・生命体に通じる何かを感じるのは、私一人でしょうか。本書を眺めながら、新しいヘリカル時代の到来と、新しいサイエンスの一端を感じていただければ幸いです。

 

写真集




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